ともみらです!
現職は、『 ITインフラエンジニア 』をしており、企業の サーバー や ネットワーク 関連の 提案、設計・構築・運用をしています。
エンジニア歴は 20年となり、今では『 板ばさみが似合う笑顔の中間管理職 』になるべく奮闘中です!
ともみらブログを運営しています。『楽しみ』を追求し、お得な情報を共有できるよう『わかりやすい IT 情報』や『夢の不労所得を目指すFXや仮想通貨の情報』をメインとし、その他にも楽しい情報を発信していきたいと思っています。
朝、家を出た途端、雨が降り出し、今日は運が無いなぁ0と思っていたら、いつもは座れない電車で座れるという『ちょっとした不幸と幸運』を味わった1日の始まりでした。
皆さん!
今日のテーマです。
人生の分かれ道
その場面は、誰もに『平等』に訪れるとは思いますが、誰もが『決断』できるとはかぎりません。その『決断』によって、『人生』が大きく変わる事は、当然ある事でしょうね。
自分の中で、あの時、こうしていたらとか、ああしていたらとか、その場面が思い浮かぶならば、それは『人生の分かれ道』だったのでしょう。
ただ、この時点では後悔している事に気づいている事でしょう。
この『人生の分かれ道』ってやつは、そうそう訪れるものではないのです。
だからこそ、その場面では勇気ある決断をしないといけません。
このブログを読んでいただいて、人生が好転されれば嬉しいです!
1. 人生の分かれ道とは?
では、『人生の分かれ道』とは、どういう場面なのでしょうか?
人それぞれに、違う時間軸で訪れるであろう決断を迫られる場面だと、ともみらは思うのです。
これは、時間的に余裕があるものではなく、ある程度の短い時間の中で、自分の心と葛藤しながら、勇気を持って踏み出すか、踏み出さないかで、その後の人生が全く違う人生になってしまいます。
あなたの人生にとって、『人生の分かれ道』に出会えたなら、成功を信じて決断しましょう!
2. 社会に出るということ!
ともみらも、今までの人生経験の中で、一度だけ『人生の分かれ道』だと思える出来事があったのです。この出来事から20年を経て、今でも この決断が今の人生に繋がっている と思うからです。
ともみら世代は、就職氷河期と言われた時代を経験してきましたが、大学生の頃に就職活動にはそれほど苦労した記憶はありませんでした。
ただ、あまりやりたい事が何なのか分からなかったんですよね。
昔から、人前で話す事は苦ではなかったので、あれよあれよいうままに就職してしまいました。
エネルギー関連の運輸業で、今の仕事とは全く違う仕事をしていました。
大学の卒論で、『道路交通情報通信システム(VICS)』の事について書いていたので、何となく運輸業に入って、将来はそこのシステム部に入りたいなぁ~と、曖昧な理由で就職したのを覚えています。
結構、採用の倍率は高く、同期は5人しかいなかったんですが、東京勤務ではなく、各地方に同期メンバーは散っていきましたね。
ともみらは、名古屋で新社会人生活をスタートさせました。
名古屋は、個人的には好きでしたが、東京と大阪の間で、何となく独特な文化だったと、当時は感じていました。
最初の仕事は、事務的なものが多く、たまに先輩と外出するのは、ルート営業なので、そんなに苦ではなかったですね。
大型タンクローリーがたくさんあるセンターに行って乗車させてもらったり、大きな石油の油槽所に行かせてもらったり、それなりに非日常の世界だったと思います。
大変だったのは、定時の感覚がないことで、普通に21時ぐらいが定時 の感覚。
マジか・・・
さらに、21時の訳わからん定時後も、まだ帰らなくて、新人ながらに仕事が無いから、苦痛だったのを覚えています。
恐ろしいのは、単に残業代が欲しくて残っている訳ではなく、膨大な業務量だったし、完全に属人化しているので帰れない状態。
10歳以上の年上ばかりで、相談もできなかったし、当時は何て非効率的なんだと思っていました。
お金は使う暇が無かったし、いつも帰りが遅かったので、最寄駅について、駅前のコンビニで歩きながら食べられる弁当やパンを買い、家に帰る10分程度の帰り道で食べ終わり、帰ったら寝るという生活を1年くらい続けました。
お金は貯まりましたけどね。100万くらいだったと思います。
ただ、他の営業所や事務に同世代の職場仲間が居たのが、唯一の救いでしたね。
お金は貯まるし、名古屋は好きだし、仕事はブラックだったけど、将来はシステム系の部署に行くという選択肢もあったので、毎日忙しい中で、ただ時間だけが過ぎて行く感覚でした。
ある日、研修で大きな油槽所に行く機会があり、ものすごい広い敷地の中に所長と事務員、ともみらの3人で仕事をしたのですが、昼休憩で弁当食べながら、名港トリトンという橋を遠目に “ ふと “ 思ったんですよね。
全く将来が想像できない!
自分が仕事で活躍する場面も、幸せな家庭を築いている場面も、不安しかなかったですね。
当時は、就職氷河期で仕事に就けない時代に何言ってんだと言われそうですが、本当にイメージ出来なかったんですよね。
石の上にも3年!という言葉がありますが、当時の古い体質が主流だった時代に不安と将来のビジョンが全く見えない日々に悶々とした毎日を送っていました。
新社会人とはこんなものなのか。
そんな感覚を覚えた社会人デビューでした。
3. 訪れた人生の分かれ道!
そんな日々を1年近く過ごしていたある日、いつも通りの業務を完了し、帰宅しようと駅に向かった。
偶然、名古屋支店の上長であり、支店長の次に偉い方と帰りの時間が重なったんです。
役職がかなり上ということと、年齢も離れていたので、何の話をしたのかは全く覚えていない。当たり障りない会話をしたのだろう。
そうこうしている間に、先に上長の最寄駅に到着した。
軽く挨拶して、上長が背を向けた瞬間!
何か分からないが、仕事を辞めて次の目標を見つけたいという『心の中に潜んでいた感情』が溢れ出したんです。
その瞬間でした!
あと1秒ぐらいで閉まるであろう電車の扉を越える一歩を踏み出したんです。
これが、
ともみらの『人生の分かれ道』
なんか " これが私のアナザースカイ~” みたいになってしまいましたが・・
その後、上長を呼び止め、自分の正直な気持ちをぶつけ、いつか東京で " IT "の仕事をすることを伝えたのでした。
もちろん、上長とすれば、新人が心配で引き止めてくれましたが、自分の意志を貫き、勇気を持って踏み出した『人生の分かれ道』から、今の人生に繋がったと信じています!
これを人生の転機だと思っています。今までの人生を振り返り、いろいろありましたが、人生を語る上でも、この出来事があったからこそ、今の仕事をしているのだと『100%』思っています。
その後、地元に一旦、帰省。
貯金の100万円を使い、プログラミングの勉強を始めました。
その過程で『インフラエンジニア』に目覚め、キャリアを重ねました。
今では、かわいいカミさんと、生意気盛りの目の離せない娘と一緒に、職場ではすばらしい仲間に囲まれて、休日は趣味のギターを奏で、体を鍛えるためにジムに通うという人生を送ることができたと思っています。
あの『人生の分かれ道』で踏み出すことができなければ、どんな人生だっただろうか?
その人生を見ることができたなら、きっと自分の選択は間違っていなかったと思うのです!
4. まとめ
今回のテーマは、『人生の分かれ道』という事でしたが、皆さんはどのように感じていただけたでしょうか?
誰しも一度や二度は、『人生の分かれ道』が訪れる機会があるはずです。
無いとすれば、それは見過ごしている、もしくは、全く行動していないという事になります。
人の意見を聞くことは、とても大事な事ですが、自分の直感を信じてみるのも良いと思います。
特に、ともみらは、これから IT業界で働く若い人には、『人生の分かれ道』が訪れる瞬間を見逃さず、活かしてもらいたいと思うのです。
自分が良いと思えば突き進み、そうでないと思えばやり過ごせば良いのです。
それが、たとえ失敗だったとしても良いじゃないですか。自分で決断した事は評価できますし、やりたく無い事を頑張って、ストレス溜めても意味がないです。
人生の大半は、辛いことが多いと思います。でも、それをちょっとした事で楽しいものに変えられるかは、誰にお願いするでもなく、あなた次第です。
このブログを読んでいただいた方には、今後、『人生の分かれ道』が訪れ、そして、『勇気ある決断』をしていただければ幸いです。
人生の分かれ道!誰よりも自分の決断を信じよう!